私の英語習得へのチャンスは、地元の福井県で起きました。
そのプロセスを、順を追って書いてみます。
高校卒業後、大阪のあべの製菓専門学校で菓子作りを学ぶ
製菓専門学校を卒業し、大阪の吹田市にある、パン屋で就職したはいいのですが・・・
ストレスで、後頭部に500玉大の円形脱毛症が出き、左目の下にチックが現れ、筋肉が絶えずピクピク動く毎日。それでも、高校卒業してからの最初の就職先だったので、なかなか辞める決心がつかないまま・・・。ギリギリのとこで我慢して働き続けましたが・・・。
ある日、ぶっ倒れました。
病院で3日間、点滴を打たれました。
こうなってみて、ようやく、「もう、あかん!辞めよう」と、やっと決心できました。
負け犬のような、みすぼらしい気持ちで、実家の福井にスゴスゴと出戻り・・・(号泣)
・・・と、信じる両親を、思いっきり振り切って、高校卒業後に大阪の製菓専門学校に行き・・・。
・・・と、説得する両親をも、また思いっきり振り切って、勝手に大阪のパン工場で就職先を見つけた私でした。
なのに、このザマ・・・・。かっこわるー!
パン工場で、毎日、失敗ばかり。上司に怒鳴らて、落ちこぼれのパン職人。ストレスで、でっかい500円玉サイズの円形ハゲ、顔面チック、そして、ぶっ倒れ・・・。
あの頃の私、本当に、どん底でした。身体的にも、精神的にも・・・。ボロボロの雑巾みたいな気分・・・。
とりあえず、福井で職探し・・・
でも、実家で、ぼーっとしてるわけにもいかず、とりあえず、職探し・・。
求人情報誌で、「児童英会話教師」という募集広告を見つけ、妙に「ピン」と来ました。
頭の中で、楽しそうに英語の歌や踊りを子供と笑いながらやってる自分のイメージが、ありありと想像出来て。
履歴書送った時点で、すでに気分は英語教師で、「This is a pen!」とか、部屋で一人で妄想しながら・・・。
・・・つうか妄想どころか、実家の自分の部屋の中で、立ち上がって、壁をホワイトボードに見立て、実際に教室にいるかのように、一人で練習してました(恥)。
(今から思えば、これって、いわゆる「引き寄せの法則」そのまんまですね。成功してる自分をワクワクしながらイメージするっていう・・・そういう概念も知らないのに、無意識にやってました!)
英語の上達方法1:シャワーのように英語を浴びる時間を持つ
ええと、英会話学校に履歴書送った時、私、まだ、英語全然話せませんでした。
だって、製菓専門学校や、パン屋工場では、英語必要なかったもん。
でもね、不思議と、「自分には無理」とは思わなかったなぁ。図々しくも「面接受けるぐらい、タダやし!」と自分に言い聞かせて、本当に面接に行ってしまった。(笑)
英語のテストもありました。でも案の定、全然答えられない。Appleのスペルですら「Ap」の後、全く書けない。(汗)
テスト終了後、「こりゃ、ダメだな。太刀打ち出来ないわ。ま、でも、これも貴重な経験!」と、明るく、面接に挑みました。
すると、面接官は、私のテスト結果を見ながら、「あなたは明るい性格だし、良い先生になりますよ。英語は、入社してから勉強してもらえばいいですから」なーんて言われ!!
英語全然出来ないのに、
本当に、児童英会話教師になってしまいました。
マジーーーーーーッ???!!
そこの英会話教室は、「ネイティブが吹き込んだ英語のテープを、子供に英語のシャワーのように何時間も浴びせると、丸暗記する」いう、メソッドでした。
と・こ・ろ・が・・・。
週に1時間、教室で英語のシャワーを浴びるだけの子供たちは、さほど英語はうまくならなかった(笑)。生徒の母親から、「もう何年も塾に通ってるのに、うちの子、全然英語しゃべれませんが・・」とクレームも時々もらいました。
でも!!!
週に5日間、毎日3コマ(3−4時間?)の教室を担当した私は、おかげさまで、英語のシャワー浴びまくって、ネイティブの英語や発音を丸暗記しちゃいました!!(爆笑)
そして、まさに、この同じタイミングで、別のシンクロも同時進行!!
高校時代の部活、バスケットボール部の同級生「まさよ」が、アメリカ留学から帰国してきました。アメリカ人の旦那ダンを連れて。
ダンは、長髪で、痩せてて、色白で、ロッカーっていう雰囲気。福井に来て、まもなく、ヘビメタバンドを組み、ボーカル、及びドラマーをすることになりました。
毎週末、車で1時間ほどの、アメリカ風の外人バー「Chop」で演奏。長髪を振り乱して、ヘビメタの曲をハスキーボイスで叫び、ドラムを激しく叩く彼は、とってもエキゾチックでしたね。私がこれまで知らなかった世界で、本当に素敵でした。
まさよと、彼女のアメリカ人の旦那は、車を持っていなかったので、私に送り迎えを頼んできました。昭和の死語ですが、「アッシー」というやつですね。で、毎週末、アッシーやりました。
Chopに着くと、まさよも、彼女の旦那も英語が堪能なので、すぐに外国人の友達に囲まれて楽しそうです。
でも、私は、全く英語できず・・・。
広いバーでいつも一人、ポツーーーーーーン。
悲しすぎる・・・。
やっと、近くにいた外国人の誰かを捕まえて「マイネームイズ、ヨーコ。ナイスツーミーチュー」と挨拶してみても、その後の会話が全然続かず。
だって、英語、全然わかんないんだもーん。
私に捕まった外国人の「Victim(いけにえ)」も、3分ほどすると、「あ、僕、トイレに行くから、また後で話そうね」とか「あ、じゃ、友達が向こうで呼んでるから、また後で話そうね」とか何とか言っては、いなくなり・・・。
結局、誰も、
私の元に戻って来やしなーい!(笑)
で、また、ポツーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンと、一人ぼっち。
たくさんの外国人に囲まれてチヤホヤされてる「まさよ」を横目で見ながら、私、めっちゃ、哀れ・・・。悲しーくなって、泣きそうになった。
でもね、そん時、「くっそーーー!!!」と思ってね。「英語が話せるようになりゃーいいんでしょ?やったるわい!」と、怒りに燃えて。
高校時代に聞いた、ラジオの英会話講座を思い出し、近所の書店で、6冊分のテキストを購入。一番簡単なラジオ基礎英語から、一番難しいビジネス英会話までの6冊分です。
https://www2.nhk.or.jp/gogaku/english/basic1/
そして、カセットテープに(そう、当時はカセットテープの時代でした!)、その6講座分のラジオ講座を毎日録音しました。
そして、朝起きてから、夜寝るまで、隙間時間があれば、いっつも、いっつも、その録音テープを聞いてました。
車での通勤時間は、その録音テープ、大音量で流してました。ある程度慣れてくると、録音テープのシャドーイングしてました。
仕事から帰宅すると、テキストを見ながら、また録音テープを流し、リピート練習。
英語の上達方法2:英語で話せる、外国人の友達・彼を作る
そして週末の夜は、相変わらず、外人バー「Chop」へ、まさよとアメリカ人の旦那を送迎するアッシー役。
そして、バーで見かける外国人に、その週のラジオ講座で学んだ単語やフレーズを試してみると、英語が伝わるんだよね!
これが、面白かった!
もうね、飛び上がって、小躍りしたいぐらい嬉しかった!
英語が上達するに連れて、毎週末行く外人バーでも、顔なじみが出来て、外国人の友達が一人、二人と増えはじめて・・・。
そのうち、外国人の友達が、ハウスパーティーに誘ってくれたり。ポットラックパーティーという持ち寄りパーティーでは、外国人が、メキシカンのナチョスやタコスを持ってきてたり・・・。
なかには、「納豆パスタ」という、ただ茹でただけのパスタに、納豆を山盛り乗せた、見た目も匂いも最悪な料理を持ち寄る「ツワモノ」の外国人もいました。(そのパスタ、外人はおろか、日本人ですら手を出してなかったぞ!)
そして、ついに、アメリカ人の彼氏まで出来たり!(パンパカパーン!!)そして彼の部屋で、うれし恥ずかしのお泊まりをしたり。(もちろん、夜通し英会話レッスンの勉強するためですよぉ!やだなぁ、変な妄想しちゃってぇ・・)
それからは、アメリカ人の彼と、その友達(日本好きな外国人や、英語が好きな日本人)らと旅行に行ったり!いやー、世界が広がる、広がる!!
英語が話せるって、素晴らしい!楽しい!面白い!と実感しました。
英語の上達方法3:夢中になれる、楽しいことを英語でやる
もー、こんな生活が、楽しくて、楽しくて!
「英語を勉強した!」っていう記憶は、
私、全然ないの。
なんつーか、自分が好きなことを、
ただただ、楽しくやっただけで・・。
20代前半で、若かったから、まー、ビールもワインも、じゃんじゃん飲んで、外国人とも、たくさんおしゃべりして、ヘビメタの音楽に合わせて外国人に混じって踊ったり、ハグしたり、叫んだり、吠えたり、たまに、ゲロ吐いたり。
酔って居眠りしたら、いつの間にか、バーのカウンターに寝かされてたり。
もーね、パーティー三昧で、ハチャメチャでした。本当Wildでした。そして、とにかく、英語でコミュニケーション出来るのが、楽しかった!!
英語の上達方法4:まずは、10000時間やってみる
英語の習得に限らず、どんなスポーツや、芸事にしても、「10000時間やるのが肝!」と、聞いたことがある。
最低限10000時間やると、身につくもんなんだって。
10000時間が、臨海ポイント。
ゴルフでも、野球でも、水泳でも、同じ10000時間なんやって。
おそらく、当時の私は、福井という片田舎に住みながら、毎日寝てる時、食べてる時、うんこしてる時(すんません、下品で!)以外は、ズーーーーッと、ラジオ英会話6講座分聞いてた。
仕事中は、児童英会話教師で、ネイティブの英語のシャワーを浴びまくっていたし。
週末は、アメリカ人のヘビメタくんのアッシーで、外国人とパーティー三昧で英語漬けもいいとこ。
そして・・・
2年間、自分が夢中になれる、
大好きなことを、
狂ったように毎日朝から晩までやって、
楽しい生活を続けてたら、
知らぬ間に英語が喋れるようになってた!
文法なんて、一度も勉強しなかった・・・
単語の暗記もしなかった・・・
イーオン、ジオスなどの英会話学校で、駅前留学もしなかった・・・
中学・高校の英語教育とも全然違う、完全に自己流の独学でした。
でもね、そもそも、赤ん坊が言葉を習う時って、文法や単語の暗記なんてしないよね。言葉を話し始める随分前から、まずは耳で、お父さんやお母さんの話す言葉を、シャワーのように浴びてるもんね。
とにかく、私の場合、自分が大好きなことを、死ぬほどやったら、知らぬ間に、勝手に英語できるようになってたって感じで・・・。
まさに、「好きこそなれの上手なれ」
私がやったことと言ったら、
外国人と酒飲んで、ヘビメタの音楽に合わせて踊って、叫んで、吠えて、仮装して、遊んでゲロ吐くこと(←まだ、言ってる)。
そして、大好きなラジオ英会話の講座を、何時間も何時間も聴きまくること。
本当に、これだけ!!
でも、きっと、この2年間に集中して、自分の好きな方法で、夢中で英語に触れてたら、10000時間の臨海ポイントを、「ピューーー!」っと、超えてしまったんやないかと思う。
英語の上達方法4:英語劇に挑戦してみる
えっと、上の章で、「本当に、これだけ!」と言ったけど・・・。
実は、もう一つ、英語上達の切り札がありました(笑)。ただ、これは、「私の場合は」、この方法が向いてた、というもので、全員に当てはまるかどうかわからないけど・・・。
私の場合、これは、英語劇に挑戦することでした。
これも、偶然起こったこと。
自分の英語が上達するにつれ、私は、地元の福井県の国際交流会館によく足を運びました。英語の本が読めたり、国際交流イベントのお知らせが張り出されていたから。
そこで見かけたイベントチラシの一つに、川瀬咲子さんという恩師が主催してた「おもしろふれあいクラブ」というのがありました。外国人を地元の小学校にお連れし、小学生と外国のゲーム、歌、料理などを通して触れ合うというイベント。なんかピンときて、ボランティア活動させてもらいました。この咲子さんは、のちのち、私がカナダで演劇留学をしようかどうか迷っていた時に、大きく背中を押してくれた、超恩人です。(この話は、長くなるので、またいつか別記事に書きます)
国際交流会館には、舟木ちゃんという男性が働いていました。何度も通ううちに、仲良くなりました。
舟木ちゃんは、シドニー大学に留学をして、社会福祉を学んだ人。「留学中に、1つだけ演劇のクラスをとったことがある。でも英語が母国語のオーストラリア人に混じって、英語で演劇やるなるなんて、本当に難しいこと」とも言ってたのを覚えてる・・。
その舟木ちゃんが、ある日、「福井で、英語のミュージカルやるぞ!The Sound of Musicやるぞ!僕が舞台監督やるから。*ナンシー、お前もやれ!」と言い出し、舞台仲間を募集。(←「ナンシー」は、当時、私が自分につけてたミドルネーム。ミドルネームを持つ外国人に憧れて、自分用のを作った。恥)
英語の演劇なんて、生まれて初めての体験だったけど、「なんか、面白そう!」と、ピンときた私は、キャスティングを決めるミーティングに参加。
ミーティングに遅刻して行ったら、「主人公の美人MARIA役」か、「意地悪な極悪妻ELSA役」しか残ってなかった。
と、言うと・・・。舞台監督の舟木ちゃんが、
なんですか、それ?!(失礼しちゃうわん!)
私は、選択の余地なく、「意地悪な極悪妻ELSA役」を引き受けました。
でも、この生まれて初めての舞台体験が、私の人生をガラリと変えてしまったのでした。これも、書き出すと長くなるので、また別記事で、またいつか・・・。
英語の上達方法5:自分の持つ知能や才能を活かして学ぶ
MI理論というものがあります。1983年にハーバード大学教授・認知科学者のHoward Gardner(ハワード・ガードナー)氏によって提唱されたMultiple Intelligences Theoryのことです。
日本語では、MI理論、多重知能、多元的知性、マルチプルインテリジェンスなどと呼ばれているようです。
ハワード氏のMI理論によると・・
人間は誰しも複数(現在は8つ)の知能を持っている。長所やプロフィールが個人によって違うように、人によってある知能が強かったり、ある知能が弱かったりする。自分の知能の強みを生かして、学ぶと上達が早く、楽に上達する
・・・のだそう。
私の過去記事「マルチプルインテリジェンス:自分が気づいていない知能のバランスを調べてみよう!」で、自分の知能の強み・弱みを調べる簡単なテストを載せています(所要時間:3分)。私も、やってみましたが、怖いぐらい当たってました!!
まとめ
中学・高校時代の英語の授業では、文法は何も覚えられなかったし、テストでは4点とか5点の赤点続きだった、私でした。
高校・製菓専門学校を卒業後に、初めて、正社員として勤めた大阪のパン屋工場では、「落ちこぼれパン屋職人」。単調な作業に、毎日、失敗ばかりで、怒鳴られ・・・。
ストレスで、500円玉大の円形ハゲが出来て、顔にチック症状が出て、しまいにはぶっ倒れて病院で点滴3日間して・・・。この時のストレスは、人生で初めての、一番深いどん底でした。とても未来の明るい展開など想像する余裕はなかったです。
どん底の谷で、時々、「こんな自分、生きててもしょうがない・・・」とか思いましたよ。ふとした瞬間に「私が死んじゃっても、パン屋工場の人は、厄介者がいなくなって嬉しいぐらいかもなぁ・・」と、自己嫌悪と、無力感いっぱい・・・。
パン屋の仕事を辞め、スゴスゴと、負け犬のように、地元福井県に出戻りしたわけですが・・・。惨めさは、半端なかったです。
でも、人生が想像もしてなかった方向に動き始めましたのは、まさに、その後から!
カナダでの演劇留学などのミラクルな展開は、そもそも、「パン屋職人としては大失格」だったからこそ、起きたというもの。もし、パン屋職人として成功していたなら、今ごろ、まだ大阪でパンを焼いていたかもしれません。
私自身、その瞬間瞬間で、「ちょっと怖いけど、ワクワク・ドキドキすることをやる」を、ただコツコツとやっただけですが・・。
全ては、「落ちこぼれパン屋職人」を辞めた後に、不思議な運命に導かれるように、展開していきました。
運命というと、自分一人で切り開いたように聞こえそうですが・・・。
大事な局面で、Mentors(恩人・師匠)に大事なアドバイスをもらったり、お世話になったことが大きかったと思います(←たぶん、これ、すごく大事)。
作家の本田健さんは「次元上昇」と呼んでますが、自分一人の力では、どんなに頑張っても、たかが知れてます。でも、壁に直面したり、不安になって行動するのに躊躇したくなった私に、適切なアドバイスをくれ、助けてくれた恩人・師匠達があっての、私です。
もう、若くして亡くなってしまった恩人・師匠もいますが、今でも、感謝でいっぱいです。今から思うと、すべてのことは、ベストのタイミングで、ちょうど良いさじ加減で、来てくれた感じです。これが、2、3年遅くても、この人たちには出会えてなかったので・・・。
おまけ:オージー旦那ラッセルとの出会い
カナダで演劇留学を10年間し、カナダの学校を卒業後は、スエーデンや東京で公演し・・・。そして、全ての「点と点」の延長線上に、オージーの旦那との出会いがあり、今現在のシドニーでの結婚生活につながっています。
この旦那との出会いも、不思議な偶然の積み重なりでした。うちの旦那は、たぶん、ソウルメイトかな。後にも先にも、これ以上、自分の「人間としての成長」のために、ぴったりな相手はいないんじゃないかなと思ってます。
そういえば、結婚当初から、旦那と私の間には、時々、テレパシーが起こります。例えば、二人で同じ部屋にいて、ふと私が「あ、そうだ!ラッセルのお母さんの誕生日、もうすぐだよな。そろそろ、何をプレゼントしたらいいか、考えた方がいいかも」と、ピピッと、思いついたことがあります。
別に、それまで、二人で、彼のお母さんや、家族のことを話していた訳でもありません。でも、なんだか急に、そのことを思い出したので、旦那に言うとね。
・・・っていう感じのことが多々あるんです。
最初の頃は、私も、半信半疑でね。だって、おかしいじゃないですか?それまで、旦那の家族のことなんて、これっぽっちも話ししてなかったのに!
だからね、
・・・と、疑ってました。(笑)
ほとんどの時は、私がピンと思いついて口に出すと、
と、いうパターン。
でもね、たまに逆バージョンも、あるの。私がピンときて、今、まさに、ちょうど言おうとしてたら、旦那が先に言うと言う。その時に、
・・・と、驚いて叫ぶと、
・・・・と、言われます。(お互い様ですな。笑)
(旦那との出会いのエピソード、シンクロ続きで、めちゃめちゃ面白いんですが、長くなるので、続きはまた今度!別記事をあとで書きます)
私の「元落ちこぼれパン屋職人だった私が、カナダで10年間の演劇留学をするまで」のミラクルな冒険実話が単行本で読めるよ
えっと、ちょっと宣伝。
私の、「元落ちこぼれパン屋職人だった私が、カナダで10年間の演劇留学をするまで」の、ミラクルな冒険実話を出版してます。
本の前半部分は、こんな話からスタートします。
- 私が、福井県の、中学・高校の英語のテストで赤点続きだったこと。
- 大阪の製菓専門学校を卒業後に、就職した大阪のパン工場での「落ちこぼれパン屋職人」ぶり。
- パン工場で失敗ばかりで、毎日、上司に怒鳴られてた私。ストレスで、大きな円形脱毛症になり、顔にチック症状が出て、ついにぶっ倒れた話。
- ストレスでぶっ倒れた後、パン工場を辞めて、スゴスゴと負け犬のように、田舎の福井県に出戻った話。
- 「Apple」の単語さえ書けない私が、ひょんなことから、福井県で、英会話教師になってしまった話。
- 英語がぜんぜん話せなかった私が、独学で、お金をかけずに、英語が話せるようになった魔法の方法。
- 2年間の独学の英語の勉強の後、福井県の英語劇で舞台役者になった話。
- カナダに飛び立って、母国語でない英語で、カナダ人に混じって演劇をする苦労話。
そして、本の真ん中ぐらいから、こんな話も・・・。
- クリエイティビティって、何?
- 良いアイディアって、何?
- インスピレーションや、ひらめきって、どういう仕組みで起こるの?
- どうやったら、もっとアイディアが浮かぶの?
- 日本とカナダの文化の違いは、クリエイティビティーに影響するの?
- 日本とカナダの、もの作りのプロセスの違いは?
- 日本の「型」って、クリエイティビティーの邪魔になるもの?
142ページ、ぜんぶ、英文です。
でも!!
読んでくれた日本人の方からは、「エッセー風で読みやすく、面白かった!」と、熱い感想をもらってます!(一番下に、本を読んだ人からの感想を載せてます)
今、英語を勉強中には、ぴったりかも!
「PDFの電子版」で読めます。
– カルガリー大学院の修士号卒業論文「Creativity and Performance Creation」は、下のリンクから、PDF版を無料ダウンロードできます。(電子版は、挿絵はなく、英文の文字だけです)
それにしても、人生って、「つくづく、無駄はないんだなぁ・・・。よく出来てるよなぁ」と思います。
パン屋職人の頃は、毎日失敗ばかりで、上司に怒鳴られるたび「人生で初めての、どん底の谷」だと感じてました。
でもね、何年も経ってから、ふと後ろを振り返ると、気づくんですよ。あの時は、あれが人生のターニングポイントだったんだ!」と。
私の場合、ぶっ倒れるほどになって、ようやく、「もう、この職場にしがみついていては、ダメ!」と踏ん切りがついたのです。
人生の中で、ストレスを感じるものって、いろいろあると思います。例えば、転職、引越し、離婚、親しい人の死、新しい学校・職場など。普段と違う、非日常的なことをする時って、すっごい大きいエネルギーが必要じゃないですか。
私は、「ストレスで、ぶっ倒れた」から、「もう、本当に、このパン工場にいてはダメだ!」と感じられ、「エイヤー!!」と、全く違うDirectionに方向転換できるエネルギーをもらえたようなもんです。
そう思うと、パン工場での辛いストレス体験も、感謝の気持ちでいっぱい!
宇宙のかみさまみたいな人が、ベストなタイミングで、色々な体験をさせてくれてるように感じます。
本当にありがたいです!
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こんにちわ。矯正治療の記事を拝見し、コメントしております。私は先月からオーストラリアで専門学生に通っているのですが、急に歯が痛みおそらく神経治療が必要なのですが、ようこさんの紹介されているプライベート保険についていくつかお伺いしたいです。学生(2年フルタイム)でも加入できるのか、waiting period、月額?など。休学して日本に帰るべきか、こちらで治療するか迷っています。お忙しい中お手数ですが、返信頂けますと嬉しいです。
あやさん、コメントありがとうございます♪私も独身時代、カナダ留学中に同じ体験をしました!ある日、急に歯がズキズキ痛くなり、夜も眠れず・・・。翌日、歯医者に駆け込んだら「神経治療が必要」と言われ、不安で泣きそうになりました。あやさんも、今、似たような氣持ちだと想像します。
当時私が住んでいたカナダのアルバータ州は、学生ビザの私でもアルバータ州の保険に加入出来たので、治療費はほとんどかからなかったと記憶してます。神経治療の日を予約したけど、最短でも1−3ヶ月待ち(⬅︎正確な期間は忘れました)と言われ、その間はAdvilという痛み止めと、Anti-biotic(抗生剤)を処方され、気長に待ちました。でも薬を飲んだら、とりあえずズキズキした痛みは全然感じなくなりました。
さて、オーストラリアのプライベート保険のことだけど。私が加入しているのは「nib」です。私自身は結婚してからオーストラリアに来たので「学生ビザでも加入できるかどうか」は調べたことがなかったのですが、今、nibのウエブサイトで調べたら、サイトの上部に「Oversea customers → Oversea students」という欄を見つけました。あやさんが独身なら「Singles → Cover for the Primary Visa holder only」というカテゴリーに当てはまると想像します。
(1)まず、「 https://www.nib.com.au/overseas-students 」のリンクに行きます。
(2)画面の下へスクロールすると「From $490 per year for singles」の文字が見えます。
(3)その右となりの「GET YOUR PRICE」という黄色い長方形のボタンをクリック。
(4)保険に加入したい期間を選びます。「保険スタート日」と、「保険終了日」を、ドロップボタンで選択。
(5)「独身」「カップル」「ファミリー」を選択。
(6)希望する保険加入期間の見積もりが、すぐに出ます。
えっと、試しに「だいたい1年間ぐらいの期間で独身」で見積もりを出してみたら「AU$503.99」でしたよ♪ 「日本への往復の飛行機代」よりはちょっと安いかな? とにかくnibだと、学生ビザの人は、永住権の人と同じ保険には加入できない感じです。「Waiting period、月額」については、私の保険とはルールが違うと思うな。また、あやさんの場合、一番大事なのは「学生ビザの人用の保険で、歯科治療が、どの項目までカバーしてもらえるのか?神経治療もカバーされるのか?」を調べることだと思う。多分、パソコン上で観れる情報は限られているだろうから、あやさんの最寄りのnibオフィスに足を運んで、窓口で直接聞くのがてっとり早いと思うよ。これ、私のモットーだけど、「悩んでる暇があったら、即行動!」ね♪ 勇気出して、頑張ってみてね。もし英語が不安なら、誰かに付き添い頼んだらどうかな?
ちなみに、私はシドニーで差し歯歯列矯正をして神経治療もしたけど、詳細はココに書いてあります:https://yokokawabata.com/2016/01/30/post-0-21/
私の場合は、上の前歯6本分の歯の神経を抜く施術で$6200でした。X線写真の料金も含まれた値段です。ただし、神経歯科医がすごーく良い方で、「僕の知り合いのProsthodontistのDr. Ken Hooiからの紹介だったし、$2000分はオマケしとくね。」と割引してもらえました!!また、nib保険のお陰で、費用の85%分をカバーしてもらえました。(⬅︎学生ビザのあやさんが加入できる保険は、種類が異なるのであまり参考にならない氣もするけど)
ちなみに、あやさんは日本から旅行保険はかけてこなかったのかな?旅行保険では歯科治療はカバーされないのかな?