PROFILE Vol.2 (プロフィール2:カナダで10年間の演劇留学の巻)

ツヤツヤでかわいい女性の魔法

プロフィール前半では、子供の頃の生い立ちから、西洋の演劇に魅せられてカナダ留学を決めたところまで書きました。

今回は、この続きです↓:

カナダの語学学校に留学(Grande Prairie Regional College付属の語学学校)

1996年からカナダに行きました。

留学をスタートした当時、26歳だったかな。

トータルで約10年間、カナダに住んで演劇を学びました。

最初は、Alberta(アルバータ)州にある、「Grande Prairie Regional College」という、ど田舎にある2年制カレッジ付属の語学学校に行きました。

「なぜアルバータ州?」って聞かれるけど、それはRonがアルバータ州のUniversity of Edmontonを卒業した人だったから。同じ大学で同じ手法を学びたいと思ったの。

でも、いきなり4年制大学に入学する英語力はなかったので、まずは田舎の学費が安い語学学校で英語を勉強することにしました。

それがGrande Prairie Regional Collegeという、2年制の短大に併設されていた語学学校です。

実は、親には一切相談せずにカナダ留学を決めちゃいました。親に相談したら反対されるかもと思って。

資金は全部、自分の貯金を切り崩して。何しろ親に相談せずに決めたので、金銭的な援助もなし。資金に余裕がなかったので、留学エージェントも通さず。基本的には、全部自分ひとりで辞書を引きながら、全ての手配を済ませました。

カナダの語学学校3ヶ月目に、舞台デビュー!

出典:http://yokokawabata.com/alias/

この田舎の語学学校に通ったことは、今から思えばベストな選択でした。

2年制大学に併設された語学学校だったので、学校には、大学生向けの舞台オーディションのチラシが貼ってありました。

まだ語学学校に通い始めて3ヶ月目でしたが、思い切って初オーディションを受けました。

そしてカナダで舞台デビューしました!

・・・と書くのは「サラッ」と簡単ですが、その時の恐怖や、心の葛藤は並並ならぬものがありました。詳しくはこちら↓:

カナダの2年制カレッジに進学し、演劇を本格的に学ぶ(Grande Prairie Regional College)

出典:http://yokokawabata.com/snow-queen/

語学学校の最上級クラスでは1年間学び、卒業しました。

そのまま2年制カレッジのGrande Prairie Regional Collegeに進学。大学進学準備コースで「アート」を専攻。この時点では、まだ主専攻を決める必要はなく、自分が学んでみたいクラスを自由に取れます。

私は、Drama(演劇)、アート学科、人類学科、社会学科、心理学科のクラスを取りました。アート学科では、Printmaking(版画)のクラスもいくつか取りました。

ここでのDramaのクラスは、脚本家が書いた脚本を使うという、Script-baseのお芝居を多く体験しました。

一人二役の大抜擢を受けたこともありました。詳しくはこちら↓:

大都市の大学は競争率も激しいです。英語が母国語のカナダ人に混じって演劇をやる・・・しかも第二ヶ国語の英語で役をもらうのは至難の技かもしれない。

でも、ど田舎の小さなカレッジは、演劇を学ぶ学生の数も少なめ。だから日本人の私でも、大舞台で演じるチャンスをもらえたのかも。

この町「Grande Prairie」は、冬の平均気温が−30度でした。そして、一番寒い時で−47度を体験!

と、まあ、すごく寒かったけど、日本人の私が演劇を学ぶには、ベストな場所でした。おかげさまで、本当に沢山の舞台で感動を体験させてもらいました。

Grande Prairie時代の舞台パフォーマンス体験の写真が見れます↓:

カナダの4年制大学の3年生に編入(University of Lethbridge)

出典:http://yokokawabata.com/hearts/

2年制大学を卒業後は、同じAlberta州の中でも、うーんと下に下がったアメリカのモンタナ州のちょっと上ぐらいの場所に引越し。

University of Lethbridge(Alberta州)という4年制大学に、3年生として編入しました。

そして大学3−4年生のカリキュラムをここで学びました。主専攻は、演劇と文化人類学。

この大学では、生まれて初めてのダンス舞台を体験しました。ここで恩師Betty(ベティー先生)に出会います。

生まれて初めて経験したダンスは、いわゆる「振りつけ師の振りつけ通りに踊るダンス」でした。

ダンス経験者ばかりの中で、ダンスど素人の私は、彼らと同じようなダンスがどうしてもできませんでした。

どう見ても技術的に劣っていて「お荷物な私」を首にすることはできたはず・・・でも、そのダンスの恩師はあきらめなかった。

そしてある日、「私の関節が異常に柔らかいことに着目して、私にしか踊れない振りつけを発明」してくれます。詳しくは、こちら↓:

上の舞台での成功体験を経て、「そうか!関節が人よりずっと柔らかいという個性を生かして、ダンスの作品を創作することもできるんだ!」とひらめきます。

そしてLethbridge時代は、自分の軟体動物的な体の動きを生かした、私にしかできない個性的なダンスを創作して演じる方向にシフトしていきます。

Lethbridge時代の舞台パフォーマンス体験の写真が見れます↓:

人生のどん底4:いよいよ留学資金も尽きて・・・

4年制大学「University of Lethbridge」を卒業するまでには、舞台で自分がやりたいことは、怖いながらもどんどんと挑戦し続けました。

だけど、もっと演劇を学びたかった。大学院にも進学したいと思いました。

でも困ったことになりました。

大学院に進学するための学費や生活費は、もう全く払えないほどに、貯金が底をついていました。

・・・というか正確に言うと、私がカナダ留学前に貯めた貯金は、最初の語学学校の1年間の学費・ホームステイ費で、すでに全部使い果たしてました。

だけど、好きなことをやっている時には、どんどんとミラクルが起こって、必要なお金が全部どこからか入ってきて、なんとかなっていったのです。

カナダの大学の夏休みは4ヶ月間と長め。なので夏休みになると、福井県の実家に4ヶ月間戻り、出稼ぎ労働をしてました。朝から晩までバイトを掛け持ちし、馬車馬のように4ヶ月間みっちり働きました。

そして、4ヶ月間で稼いだ日本円をカナダドルに換金したら、また1年間カナダに戻って勉強・生活ができるだけの資金が溜まっていました。

また、呆れつつも同情した(?)親から、お小遣いとして臨時収入が30〜50万円もらえた年もありました。

でも4年制大学を卒業するときは、もう貯金という貯金を見事に使い果たした感じでした。どう考えても、大学院に進学するお金は、どこにもありませんでした。

だけど、駄目元で、アメリカ・カナダ各地の大学院10校に入学申込書を送りました。どこかの大学院に受かっても学費は捻出できない状態だったけど、まぁ、あとは「神様におまかせ」って感じでした。

そして、とりあえず日本に帰るための片道航空券を買いました。「カナダには、もう帰ってこれないかも」と思い、残りのお金でカナダを旅行したいなと思いました。

何しろ、カナダ留学中は限られた予算内で、1年間の学費・生活費をまかなわなくてはいけませんでした。

それに英語が母国語ではない立場の私は、人の2、3倍もの時間をかけて勉強しなくては、他のカナダ人についていけなかったので、ずっと勉強勉強ばかり。

そして、カナダの夏は一年中で一番良い気候にもかかわらず、私は日本で出稼ぎ労働をしてました。だから旅行は、ほとんどしたことがなかったのです。

日本への片道航空券だけを買い、残りのお金を握りしめて、トロントやモントリオールを一人で旅行しました。贅沢はできなかったけど、素晴らしい建築、アート、舞台に触れて、時間を満喫しました。

夏の間、福井県の実家に戻ったら、驚きのどんでん返しが待っていた!

旅行の後は、1文無しのすってんてんで、一旦、福井県の実家に戻りました。

とりあえず、毎夏やっていたように、朝から晩までバイトを掛け持ちして働きました。

そうするうちに、入学申込書への審査が終わり、一校、また一校と合否結果が郵送されてきました。

トータルで10校に入学申込書を送りましたが、封筒を開けても開けても、「残念ですが・・・」の返事ばかり。そして、9校全て落ちました。

あとは、残り一校・・・。ところが、その一校からの返事が来ない、来ない。

宇宙のかみさまって、本当にドラマチックな展開がお好きです。

そして、バイトに明け暮れて、もうすっかり忘れた頃に、その最後の一校からの封筒が届きました。アルバータ州のカルガリーにある「University of Calgary」からの通知です。

「これでダメだったら、私は、もうカナダで演劇の勉強はできなくなっちゃうんだな。でも、もっと学びたい!」と思いつつ、「えいっ!」と封筒を開けると・・・。

「入学申込みありがとうございます。厳正な審査の結果、合格です!」の文字が!!!!

しかもっ!

学費・生活費免除!

えーーーーーーーー!!!!

マジかー!!

w(°o°)w おおっ!!

正確に言うと、膨大な額の奨学金がもらえることになりました。

しかも、大学院入学1年目は、演劇学部の教授のリサーチアシスタントの仕事をして、お給料がもらえると。

2年目も、別の演劇学部の教授のティーチングアシスタントの仕事をして、お給料がもらえると!

そして、「それらの額を合わせると、学費・生活費は自分で準備しなくても、十分まかなっていける」と書いてありました。

つまり、学費・生活費免除と同じこと。

私は、ただ「体一つ」で、カルガリーの大学院に行けばいい・・・。

お金の心配は何もしなくていい・・・。

どんだけツイテルんでしょうか、私。

本当に、宇宙のかみさまの、粋な計らいに感謝、感謝です。

カナダの大学院に進学(University of Calgary)

出典:http://yokokawabata.com/erlection-girl-jan-2003/

というわけで、また引越し。

今度は、カルガリーに移動。

カルガリーの「University of Calgary」という大学院に進学しました。

ここでも、また素晴らしい人たちとの出会いに恵まれました。前衛的(日本語で言うところのキレッキレ)なパフォーマンス・アートを創作する人たちと出会い、私の舞台作品も、どんどん影響を受けました。

Grande Prairieのカレッジでは、「脚本家が書いた脚本の中の役を演じる(Script based)」タイプの演劇活動が主でした。

Lethbridge大学では、私の軟体動物のような関節の柔らかさを個性として活かすダンスの手法を恩師によって見出されました。また演劇を単独で学ぶのではなく、ダンス・美術・音楽の学部の学生と交わってコラボレーションをする学風があったため、私もその影響を受け、自然と他の学部の学生とコラボするようになりました。いわゆる「既存の脚本の役を演じるのではなく、自分で独自のオリジナルなダンスパフォーマンスを創作する」タイプの演劇活動を始めました。セリフの少ない、ダンスや身体表現的なビジュアルなイメージで表現することが多かったです。

そして、Calgary大学院では、師事した先生たちや周りにいた生徒達が、ビジュアル的なイメージで表現しつつも、セリフもあって言葉で表現する、「前衛的なオリジナルのパフォーマンス・アート作品を創作する」人たちが多かったです。私の演劇活動も周囲に影響を受け、自然とそういう感じの作品に成長していきました。

同じAlberta州内の学校だったとは言え、三つの異なる学校に行ったことは正解でした。異なるタイプの先生たちから、全く異なるスタイルの表現方法を学べたことは、貴重な体験でした。

これは、カルガリーでの初パフォーマンスの写真です↓

大学院の卒業制作では、オリジナルのパフォーマンスアート作品を創作しました。

カルガリー市のど真ん中の、大きな劇場が沢山入ってる建物内で、毎年1月に行われる大きなパフォーマンスフェスティバル内で公演する機会に恵まれました。

おかげさまで、チケットはソールドアウト。会場には座る場所がなく、連日立ち見客も沢山出るほど大盛況でした。これがその写真です:

Calgary時代の舞台パフォーマンス体験の写真が見れます↓:

カナダで10年間留学をするための資金はどこから?

カナダの大学院も卒業し、カナダ留学でたくさんの演劇活動の体験をさせてもらいました。トータルで10年間、カナダで学びました。

・・・という話をすると、「えーーーー?!どうやって10年間も外国に住めたの?」と驚かれます。

そういう時は、ここでお話ししたように、「大学4年生までは、毎年4ヶ月間の夏休みに日本で出稼ぎ労働者として資金稼ぎをし、学費・生活費を稼いだ。大学院では莫大な奨学金ももらえたし、教授の元でリサーチアシスタントやティーチングアシスタントとしての仕事ももらえた。」と話します。

あ、でも、もう一つ、おもしろいアルバイトもしてました。大学のアート学部でやったアートモデルの仕事です。いわゆるヌードのデッサンモデルですね。

人生のどん底5:資金難で、いよいよ日本に帰国

カナダで10年間、ひたすら演劇活動だけやってきて、もう思い残すことはないぐらい、やりきった感はありました。

10年間も住んだカナダなので、名残惜しいし、未練もありました。本当はカナダに移住するとかして、大好きなカナダにもっと住みたかった。

でも、資金を使い果たし、移住を申請するお金は残っていませんでした。選択の余地はなく、仕方なく日本に帰国。

長くなってきたので、続きは次の記事に書きます。

つづく・・・

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