PROFILE Vol.3 (プロフィール3:オージー旦那と結婚後、オーストラリアで手織りを始めるの巻)

ツヤツヤでかわいい女性の魔法

私の詳細プロフィールは3部作ですが、この記事は3番目の話です。

私のプロフィールを最初から読むなら、こちらから↓:

そして、プロフィール2番目の話です↓:

人生のどん底5:カナダで10年間の演劇留学後に資金難。しぶしぶ日本に帰国する

カナダでは「演劇を学びたい!」の気持ちに正直に、無我夢中で暮らした私です。

今から思えば、その渦中にいたときは、「将来お金になるか?」や「将来、仕事が見つかるか?」という頭での思考や、計算はなくて・・・。

もう、ただ純粋に「もっと演劇を学びたい。だって楽しいから!」という気持ちだけ。

自分がやりたいことを、どんどん極めていたら、ふと気づいたら10年間が経っていたという感じでした。

(竜宮城で、乙姫様の素晴らしい舞いや、美味しいご馳走を食べて暮らしていた浦島太郎も、もしかすると似たような感じだったのかしら?)

10年間住んで愛着がわいたカナダ。大学院を卒業した後も残りたいと思いましたが・・・資金難。

もう今回ばかりは、にっちもさっちも行かず、日本に帰る以外の選択肢がない状況でした。

日本に帰国する決断をする時は、本当に渋々。本当は、日本に帰るのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。

地元の福井県で資金稼ぎしながら、演劇活動スタート

出典:http://yokokawabata.com/a-story-of-walidachi-1-june-2005/

カナダから、日本に帰国した私は、本当は東京に行きたかった。なんとなく、東京の方が英語を活かした仕事が見つかる気がしてね。

でも一文無しの私。

まずは、資金稼ぎをするために、福井県の実家でお世話になりつつ、資金稼ぎをすることに。派遣会社数社に登録しに行きました。

無職ですることがなく暇だったので・・・。かつての英語劇の仲間であり、「Fukui Theatre Company」を立ち上げた舟木さんに「福井に戻ってきました〜。何か面白いコトない?」と電話をかけました。

すると、「福井インターナショナルクラブ」っていう活動してる山下善久(通称:よしさん)って人がいるぞ。外国人と知り合うイベントとかやってるぞ」と教えてもらいます。

「うわっ、おもしろそう!」と、ワクワクセンサーがピピっときました。

善は急げで、さっそく福井インターナショナルクラブに電話し、よしさんに会うために、福井インターナショナルクラブに飛んでいきます。

すると、「へぇ〜、カナダで演劇を学んできたんか〜。そう言えば、ちょうど福井のALT(英語指導助手)の外国人たちが、今年、子供向けの英語劇をやりたいって言ってるよ。まだ演出家が見つからないみたいやけど。今度、メンバーがミーティングで集まる予定だから、その時に顔出してみたら?」という情報をもらいます。

「うわー、めっちゃ、おもしろそう!」と、ワクワク・ドキドキ!

そして、ALTの外国人メンバー約30人ぐらいが集まるミーティングに顔を出した私。メンバーは、福井県の中学校や高校で英語を教えている、英語が母国語の外国人たち。日本人は、私だけ。

「カナダで10年間演劇を学んできた」と自己紹介すると・・・。

「あぁ、ちょうど良かった!実は演出家がまだ決まってなくて困っていたところ。あと、主人公のお姫様役も、まだ決まってないんだ。やる?」と打診されて・・・。

当時、まだ無職で、時間はあまりにあまっていた私。一気に二役を引き受けることに。

カナダのカルガリー大学院で演劇を学んでいた時に、顧問教授のティーチングアシスタントとして、カナダの大学4年生のクラスで演劇を教えた経験もあったしね。

あと、オリジナルのパフォーマンスアートを創作して、カルガリーの前衛的なパフォーマンスフェスティバルで毎年公演していた時も、フランス人、カナダ人などの仲間と一緒に作品作りをしたし・・・。

なので、「まぁ、今回のお役目も似たようなもんや。なんとかなるやろ〜」ぐらいに思ってました。

そうして出来上がったのが、2005年6月に公演したこの作品↓:

2005年の公演は、頑張ってくれた外国人英語教師のメンバーたちや、サポートしてくれた日本人スタッフや、会場で盛り上がってくれた観客さんたちの、みーんなのおかげさまで大成功。

そして、翌年2006年にも、また「外国人英語教師たちが英語劇を創作・公演したい」という話が持ち上がり、うれしいことに、私に「演出家と俳優の掛け持ちでやって欲しい」とオファーがかかりました。

そうやって出来上がった作品がこれ↓:

2年目の英語劇の公演も、おかげさまで大成功で終わりました。

今から思えば、この時の私、すごくラッキー続きでした。

・・・というのも、福井県の外国人英語教師たちが、オリジナルの英語劇を創作・公演したのは、後にも先にも、私が福井県に住んでいた、この2年間だけだったのです!

(私ってば、どんだけタイミング良いのでしょうか?!)

突然、リストラ!転機が訪れる

「運は、人脈を通してやってくる」と聞いたことがあります。

そして、この転機も、やはりそうでした。

カナダ留学を終えた私は、東京で暮らすための資金稼ぎのためと思い、派遣会社を通して紹介してもらったお仕事をしてました。

田舎の福井県にしては珍しい高時給なアルバイトを紹介してもらいました。それは、ヤマダ電機で東芝のTVやDVDレコーダーを接客販売するお仕事でした。

私は、昔から不特定多数のお客さんの前で、パフォーマンスするようなお仕事が得意でね。このヤマダ電機でのお仕事も、毎日楽しく大笑いしながら、自由にお仕事させてもらってました。

ところが!

東芝の営業不振により、突然のリストラ宣告!

「いくらかまとまった資金が貯まったら東京に出て、アパート借りて、英語に関する仕事見つけて・・・」なーんて思っていたのに、事前の予告もなしに、いきなり首!

「困ったな、どうしよう・・・。今の貯金では、まだ東京に引っ越しなどできない。東京でアパート借りるための敷金・礼金もいるし、すぐに仕事が見つかる保証はないから、ある程度の生活費も貯めなきゃ・・。もっと資金を貯めるために、また新しい仕事を探すしかないかな?」

・・・なーんて思っていたのですが・・・。

そんなある晩、英語劇で関わった福井県の外国人英語教師たちと、打ち上げパーティーをするためにパプに出かけ、ワーワー楽しく飲んでいたんですね。

そして、英語劇メンバーで「桃太郎のおばあちゃん役」を演じたアメリカ人女性と話をしてたときに、こう言われたんです。

そう言えば、私、昨日まで旅行で東京にステイしてたのよ。浅草の近くの「K’s House Tokyo」っていう、ニュージーランド風のバックパッカーズホステルに宿泊してたの。まだ出来たばかりの真新しいホステルで清潔だった。スタッフもすごくフレンドリーだった。外国人がたくさん宿泊してたし、英語が話せるスタッフも募集してるっぽい。東京行くときには、ここオススメよ〜!

パプから帰宅した私は、この「K’s House Tokyo」というホステルのことが気になってて、早速ググりました。

そしたら、住み込みヘルパースタッフを募集中でしたー!

応募条件には「年齢27歳ぐらいまで」と書いてあったと思う。当時34歳ぐらいだった私は「7歳ほどオーバーしてますが、いいですか?」とメールした記憶があります。

そしたらオーナーさんから、すぐ返事がきて、「1週間以内に荷物まとめて、上京できますか?」と。そして私も、「はい、行けます!」と、二つ返事で返してました。

今から思えば、レジュメ送っただけで、面接もなしで、即お仕事をもらったのですね、私。ホステルがオープンしたばかりで、スタッフが緊急に必要なタイミングだったのかもしれません。(すごく強運だなと思います、我ながら)

で、大慌てでスーツケースをまとめ、東京にすっ飛んで行きました。正直言って、「住み込みヘルパー」が何をする仕事なのか、よく分からないまま、頭で考えるより先に行動してました。

全てがトントン拍子に決まり、あっという間に東京に引っ越してました。

現地に着いてから、ホステル内のお掃除をする仕事だと分かりました。そして、ありがたいことに、ホステル内のドミトリーベッドで無料で寝泊まりさせてもらえました。東京で一人暮らし用アパートを借りるための敷金・礼金もいらなかったし、身一つで行って、家賃無料で暮らせたのは本当に助かりました。

お仕事は午前中だけなので、午後の自由時間を利用して、他のバイトもできました。

私は午後の空いた時間を有効活用するため、俳優エージェントに登録して、ウルトラマンやTVドラマの撮影などにエキストラ役で出演する仕事をしました。銀行強盗の場面で、俳優の佐野史郎さんや舘ひろしさんを間近で見る体験もしました。

(夏の暑い日の撮影でしたが、佐野史郎さんは暑い野外のパイプ椅子のところで出番待ちをしていました。でも舘ひろしさんは、冷房が効いた黒塗りの高級車の中で待機してました。舘ひろしさんの出番が来ると、高級車の中から身長が高く足がめちゃめちゃ長い舘ひろしさんが、悠々と出てきてかっこよかったです)

夢の東京暮らしが始まる

ホステル「K’s House Tokyo」でのお仕事のお陰で、自分で想像していたよりも、ずっと早く(しかも安く)、東京暮らしを実現することができました。

半年ぐらい働いた頃、派遣会社を通して特許税理士事務所での外国特許事務のお仕事を紹介してもらいました。派遣スタッフとして朝からお仕事をすることとなり、「K’s House Tokyo」のお仕事を卒業させてもらうことにしました。千葉にアパートを借りて一人暮らしがスタート。

特許税理士事務所での外国特許事務のお仕事と聞くと、何だかお堅いイメージですが・・・。お仕事内容は簡単でした。特許を申請するための書類は、すでに決まった定型文があるので、テンプレートを使いまわしするだけなのです。クライアント名や日付を間違えないように正しい表記に直すだけです。

あとは、時々、特許庁におつかいに行ったり。

おかげさまで仕事内容も簡単で、職場の人間関係も良好でしたが、ちょっとマンネリな感じで・・・。このままずっと、心地の良いぬるま湯に浸かっているだけでは、自分の成長もないし、刺激もないし、「これって、どうなんだろう」と思っていた矢先に・・・友人から声がかかり、また転機がおとづれました。

スエーデンでパフォーマンスアート公演をさせてもらう

10年間カナダで演劇留学をしていた私ですが、最後の3年間はカルガリーの大学院「University of Calgary」で学んでいました。

その時に、文化庁のアーティストレジデンスプログラムを通して、カナダに1年間ステイされていた日本人版画家がいました。

「清野耕一」(きよのこういち)さんです。

カルガリーでは、こういちさんに、とってもお世話になりました。まるで妹のように可愛がってくれて。こういちさんが私のパフォーマンスの公演を観に来てくれたりもしたし、私もこういちさんの版画展示会でお手伝いをさせてもらったり。

こういちさんとは、東京で一度コラボをさせてもらったことがあるのですが、今回またコラボに誘ってもらいました。

そして、2007年にスエーデンの2箇所のアートギャラリーで、こういちさんの立体版画作品を展示するけど、その作品の前で、私のパフォーマンスアートの公演をするというコラボ話でした。

もうね、こういちさんから打診された時、「うわ〜!おもしろそう!やるやるやるやるやるやる!!」と二つ返事で受けました。

そして、これまでカナダ留学のために全貯金を捧げて来た私は、カナダ以外の国にはほとんど行ったことがありませんでした。特にヨーロッパへの海外旅行は初めて!!だから、楽しみで、楽しみで!!

せっかく行くのだし、スエーデンだけ行って、また日本にとんぼ返りするのはもったいない気がしました。

なので、スエーデン公演後は、何となく昔から憧れていたパリで放浪の一人旅をしたいなーと思いました。資金が続く限り、1ヶ月ほど、の〜んびりと放浪したいなと思いました。

今から思えば、当時働いていた特許弁理士事務所には、駄目元でいいから、「1ヶ月以上海外に行きたいので、その間、お仕事をおやすみさせてください」と聞いてみればよかったかなーとも思うのですが・・・。

当時の私は若かった!(37歳でしたが)

「1ヶ月もお仕事を留守にしたら、職場に迷惑がかかる。いっそのこと辞めたほうが、職場も新しいスタッフを迎え入れることができるから助かるだろう」と一人で決断し、本当に辞めちゃいました。

「放浪の旅を終えて、一文無しで日本に帰国したら、その後のアパートの家賃の支払いや生活費はどうするの?」なんて、微塵も考えていませんでした。

勇気がある・・・というのではなく、ただ単にナーンにも先のことを心配していなかっただけなんですが・・・。「何とかなるやろう」ぐらいにしか考えてませんでした。いや、ほんとに!(ははは)

スエーデンとパリで貯金を使い果たして、日本に帰国

そして、スエーデンのFalun市での公演の写真がこれ↓:

その後、Mariefred市に移動して、また公演した時の写真がこれ↓:

スエーデンもパリも楽しかったー!

日本に帰国する頃には、一文無し。

でも、戻る職場はなし。

「はて、どうしたもんか」と思いつつ、日本に帰国したら・・・その直後にすごいタイミングで、以前登録した通訳・翻訳に特化した派遣会社から電話がかかって来た!

「2007年東京国際映画祭での、受付のお仕事に興味ありませんか?」

というお仕事の紹介でした。

通訳とかやったこともなければ、やり方を学んだこともなかったけど、何しろ一文無しだもん。選り好みしてる余裕はない・・・

・・・っていうか、

「国際映画祭の仕事って、めっちゃおもしろそう!」

てなわけで、二つ返事でお仕事の依頼を受けて、東京国際映画祭でお仕事することに。

東京国際映画祭で、今の旦那ラッセルとの劇的な出会い!

そうやって迎えた2007年東京国際映画祭。

映画祭初日に受付デスクの準備をしていたら、外国人男性が一人、すでに立って待っている。

あのー、受付デスクは、まだこの後1時間ぐらい空きませんよ。その間、立って待ってるのも大変ですし、よかったらどこかでお茶でもしてから戻って来ても間に合いますよ。

・・・と親切心から声をかけさせてもらったら・・・

ご親切にどうも〜。でも心配ご無用なんです。僕は毎年、映画祭に来てるから分かるけど・・・。一旦、受付デスクがオープンすると、みんなが一斉にフェスティバルパスを受け取りに来るから、長蛇の列で大変なんだ。だから、こうやって本を読みながら時間つぶしして、受付が開いたら一番乗りするほうが好きなんだ。

・・・という答えが返ってきまして・・・その後、まだ受付が開くまでに時間もたっぷりあったので、ちょっとした世間話なんかをしたりして・・・。それが、結構お互いに馬が合い、盛り上がって・・・。

いやはや、人生って、どこで何が起こるか全く予測できませんね。

この時の外国人男性が、実は、今のオージー旦那ラッセルなのです。

まさに奇跡的に出会ってしまいました〜。

というのも、この映画祭初日に、ラッセルが他の人より1時間以上も前に受付に並んでいなかったなら、ゆっくり話をする機会もなかったでしょう。

それに、そもそも、私が「特許弁理士事務所の仕事を辞めて、スエーデンやパリを1ヶ月間存分に楽しむ」ことをしていなかったら、この東京国際映画祭のお仕事を引き受けてなかったと思うのです。

「放浪の旅から帰ってきた時の安全用に、特許弁理士事務所の仕事に再び復帰できるように職場の人にゴリ押ししていた」ならば、日本に帰国してすぐに舞い込んで来た、この映画祭でのお仕事は引き受けられなかったでしょう・・・。

だって1ヶ月間も自由にホリデーもらった上に、やっと日本に戻って来たと思ったら、「映画祭で受付のお仕事もやってみたいので、あと9日間ほどホリデーを延長してください」なんて、口が裂けても頼めません。

引き寄せって、まず一旦、断捨離して、新しいエネルギーが入って来るスペースを作らなければ、入りようがないんですね。

そして、ラッセルと結婚!シドニーに移住する

ラッセルとは、2年間の遠距離恋愛を経て、2009年12月に結婚。

10年間のカナダ留学を終えて、これからやっと日本に定住するんだなぁ・・・と思っていた矢先に、オージーの旦那と巡り合ってしまうとは!

2009年12月〜2016年6月の約8年半、当時ラッセルが住んでいたシドニーに住みました。

シドニーに移住し配偶者ビザも取得した後は、ショッピングセンターQVB(Queen Victoria Building)内の、イタリア製の虹色なステーショナリーを販売するショップで、約2年間働きました。

その後、初めて自分のミシンを買い、ソーイングも始めました。

職業訓練学校「Design Centre Enmore」で、2年間インテリアデザインも学びました。

メルボルンに引っ越す

2017年7月に、メルボルンに引っ越しました。

ラッセルが、メルボルンの大学で博士号の勉強をすることにしたからです。

メルボルンでは、定住するアパートに住むのではなく、ハウスシッターという仕組みを利用して、住み込みでペットの世話をしながら家賃無料で暮らす生活をしています:

メルボルンで手織りを始めるきっかけは、すごいシンクロ

メルボルンでは、ひょんな事から、「ライブラリーのお仕事をしてみないか?」と声をかけられて・・・。なんかあっという間にトントン拍子でライブラリーでのお仕事をスタートしました。

そんなこんなで、ある朝、その日もライブラリーでお仕事をしていたら、男性スタッフから、

よぅ!元気かい?What’s up?(最近どう?)

と声をかけられて・・・。

で、まぁ、いつものように無難に「Fine, thanks(元気です、ありがとう)」と答えたのだけど・・・。

5分後に、同じスタッフと、また鉢合わせ。そしたら、

おお!元気かい?で、最近はどうなんだい?

と、また同じ事を聞かれて・・・。

「えぇ〜、さっきも答えたじゃん、それ?」と一瞬思ったんだけど・・・。

でも、私の口が勝手に、

ここのライブラリーの3Dプリンターや、レーザーカッターマシーンで、手織り機って作れないの?

・・・と喋ってました。

喋った本人が一番びっくり!

「えぇ?今、私、なんて言った?」みたいな。

で、トントン拍子にコトが進み、男性スタッフも、

おっしゃ!じゃあ、俺が3Dプリンターで、手織り機を作っておいてやるよ!YOKOの仕事が終わるまでには仕上げておくから!任せとけ!

と、めちゃめちゃ張り切っていて・・・。

もう後に引けない状態。

「なんか、不思議なコトになっちゃったな・・」と思いながら、ライブラリーの別の階にあるインフォメーションデスクに戻ると・・・

今度は別の男性スタッフが、デスクで何かを作ってる。彼の手元をよ〜く見ると、

あれ!!もしかして、それは手織り機じゃないの!!しかも15個ぐらいあるんですけどー!なぜ?なぜ?なぜ?なぜなぜなぜなぜなぜ???てか、今、つい2、3分前に上の階で、別の男性スタッフと手織り機を作るって話をしてたばっかりなんですけどーーー!!?

と完全にパニクって、男性スタッフを質問責めにする私。

そして、なんかもうシンクロ続きで、考える間もなく、あっという間にこんな手織り機が出来上がってました。

せっかく男性スタッフが、私のために好意で手織り機を作ってくれたもんだから、その手織り機を使って何かを作らないと彼に申し訳ないと思い・・・。毛糸屋さんで毛糸玉を買ってきてスカーフを作りました。

それが、この虹色のスカーフ。

このスカーフが、また、すごい大好評でね。いろんな人から褒められる。

メルボルンの手織り教室でビビビ〜!!

そんな時(2018年12月末)に、メルボルンのBoxhillにある手織り教室「Art Weaver SAORI Studio」のOpen Day(無料公開日)があるという情報が耳に入って来て・・・。

手織り教室に足を運び、初めて日本製の手織り機「SAORI」で手織り体験をしたところ・・・

手織り体験中に「ビビビ〜!💡あぁ、これだったんだ〜!私がやりたかったこと!」と身体中に稲妻が走り、とても懐かしい感じがして、感激で泣きそうになるという不思議体験をしました。

2019年1月末からは、まるで何かに導かれるように、日本製の手織り機「SAORI」で虹色の手織りを始めたわけです:

手織り教室では、いろんな作品を作る体験をしました。

どういう訳だか、私は手織りするとき、虹色が大好きで大好きでたまらないコトに気づきました。

そして、大好きな虹色で作品を作ると、私自身もとっても楽しいけど、その虹色を見た人たち(手織り教室の仲間、先生、職場仲間、偶然会った人)もすっごく喜んでくれるコトにも気づきました。

そこでFacebookやInstagramで写真をシェアしてみたら、これまた、たくさんの人に喜んでもらえるコトに気づきました。

そんなこんなで、今に至る感じです。

オージーの旦那ラッセルです!

私とラッセル、毎日ワイワイ楽しく、国際結婚中です!

ラッセルとは、「2007年東京国際映画祭」のお仕事を通して知り合いました。

ラッセルと出会った時は、映画評論家でした。映画の脚本を書いたり、ショートフィルムのディレクターも経験してます。

2年間の遠距離恋愛を経て、2009年12月に結婚。結婚を機に、シドニーに引っ越しました。

ラッセルが博士号(専攻は映画)の勉強をすることになり、2017年7月にメルボルンに引っ越しました。

「人前で演じるのが得意な私」と、「映画の脚本を書くのが得意なラッセル」の、ゴールデンコンビ(←誰も言ってくれないから、自分で言ってるよ!笑)がコラボして、韓国の釜山でショートフィルムを作りました〜♪(2016年制作)

Yoko & Russell's Busan Adventure

結婚後、シドニーで歯列矯正をしました

↑歯列矯正のワイヤーが取れた直後の、嬉しさ満開の私。

歯並びの悪さは、子供の頃から、ずーーーーっとコンプレックスだった私。子供の頃から出っ歯の八重歯で、本当に恥ずかしかった。人に出っ歯だとバレたくなくて、心の底から笑えなかったの。

20代の時、子供の頃から通っていた、ある日本の一般歯科医で「歯列矯正をしたい」と申し出ると、「もうあなたの年齢では、歯は動かない。差し歯矯正ならできる」と言われる。

ワラにもすがる気持ちで差し歯矯正をしたけど、その不自然な見た目に不満でいっぱい。20〜30代にカナダ留学をしていた時、通りすがりのカナダ人から、「歯がいっぱいあって、変」と心ない言葉を言われ、すごく傷ついた思い出あり・・。

40代になり、シドニーで優秀な歯列矯正医と、差し歯矯正医に出会い、お二人の協力で晴れて歯並びが綺麗になりました。歯並びを気にせず、心から「ガッハッハー!」と大口開けて笑えることが、本当にうれしいです。

シドニーでの差し歯矯正の詳しい話はこちらで読めます:

まとめ

ええと、私の10−30代は、

「子供の頃から歯並びが悪く、ひどい出っ歯だった」

「日本の一般歯科医で、虫歯一つない前歯6本を削られ、差し歯矯正になった」

「暴力パン屋のストレスで、円形ハゲと顔面チック症状が出て、ぶっ倒れた」

「ダメンズに5股かけられ、パチンコ代・競馬代を貢いでいた」

「外人バーで、英語が話せないから、誰からも相手にされず、一人ポツーーーーーーンと壁の花だった」

・・・と、波乱万丈でした。

でもっ!!

「日本の一般歯科医で、虫歯一つない前歯6本を削られ、差し歯矯正になった」経験は辛かったですが、だからこそ、同じように歯のことで悩んでいる人の気持ちがよく分かります。シドニーで素晴らしい歯列矯正医に出会い、長年のコンプレックスだった出っ歯も、まっすぐになり、歯や歯茎を隠さずに、思いっきり笑えるようになりました。もし私が、生まれつき歯並びの良い状態しか知らなかったら、それが当たり前すぎて、こんな感動を感じることもなかったでしょう。

「暴力パン屋のストレスで、ぶっ倒れた」経験がなければ、私は、今も大阪のパン工場で働いていたかもしれません。そして、カナダ、スエーデン、パリ、オーストラリアなど、もっと広い世界を見て感動することもなかったでしょう。

「外人バーで英語が話せず、誰からも相手にされなかった経験」も、今から思えば全然無駄ではなかったです。あの時の悔しさをバネに英語を独学で猛勉強したから、英語劇に出会い、そしてカナダでの10年間の演劇留学を通して、感動的な舞台活動が出来ました。

そして、カナダでの10年間の演劇留学体験がなければ、30代後半で出会った、映画評論家・脚本家の旦那ラッセルとも結婚していなかったかもしれません。

ラッセルとは、演劇・映画関連で共通することも多く、これ以上ピッタリなパートナーは、どこを探してもありえないと感じてます。

ソウルメイトだと確信してます。

こうして、今、旦那ラッセルと、シドニーで毎日ワイワイ楽しく、ハッピーに暮らせていることに、本当に感謝してます。

つくづく、人生に無駄な経験はないんだなぁーと思います。

私の大好きなLILY WISTERIA(リリー・ウィステリア)さんの本で、

宇宙は1ミリの狂いもなく、私たち一人一人のためにベストなものを采配してくれている

と読みました。

10−30代の頃は、無我夢中で波乱万丈な人生を生きてきました。人生80年とするなら、今、私は40代で、折り返し地点。

こうやって、これまでの人生を振り返ると、過去のどんな体験も「無駄にはなっていない」ことに気づき、まさに、リーリーさんが言うように「宇宙は1ミリの狂いもなく、うまく采配してくれてる」と思える心境です。

LILY WISTERIA(リリー・ウィステリア)さん、オススメです:

ネットストア「honto!」で見る(海外へも国際発送してもらえます)

私の経歴

デザインセンター・エンモア、Sydney Institute TAFE
インテリアデザイン・ディプロマ取得。(オーストラリア、2015年)

カルガリー大学院、芸術学部 
演劇科にて修士号取得。(カナダ、2004年)

  • カルガリー大学院の修士号卒業論文「Creativity and Performance Creation」は、pdf版を無料ダウンロードできます: http://hdl.handle.net/1880/41652

レスブリッジ大学、芸術学部演劇学科
学士号取得 & 人文学部人類学科の学士号取得(カナダ、2001年)

グランド・プレーリー・リージョナル・カレッジ
大学進学コース(アート、栄誉賞)卒業(カナダ、1999年)

グランド・プレーリー・リージョナル・カレッジ付属語学学校
最上級レベル終了(カナダ、1997年)

大阪阿倍野辻製菓専門学校
製菓衛生師免許 取得(日本、1989年)

Yoko’s Bio (English)

I’m Artist Weaver/Blogger in Melbourne, Australia.

I was born & grew up in Fukui prefecture in Japan.

After graduating from a high school, I studied baking at the Osaka Abeno Tsuji Confectionary School in Osaka. I had worked as a professional baker for 3 years in Osaka, Japan.

Between 1996 and 2005, I had studied Drama for 10 years in Canada.  I had obtained: BA in Drama & Anthropology (Double-majored) at the University of Lethbridge, as well as MFA in Theatre Studies at the University of Calgary. I’ve performed in Canada, Sweden, Japan, and Australia. I’ve met my Aussie hubby Russell at the Tokyo International Film Festival in 2007. We’ve been happily married since our marriage in 2009.

Yoko’s Background (English)

Diploma in Interior Design, Design Centre Enmore, Sydney Institute TAFE (Australia, 2015)

Master of Fine Arts in Theatre Studies, University of Calgary. (Canada, 2004)

Bachelor of Arts in Drama & Bachelor of Arts in Anthropology (Double-majored), University of Lethbridge, (Canada, 2001)

Diploma in University Studies (Arts, with distinction)
Grande Prairie Regional College (Canada, 1999)

Certificate of Advanced level of English as a Second Language
ESL school, Grande Prairie Regional College (Canada, 1997)

Certificate of Confectionery Hygiene Master
Osaka Abeno Tsuji Confectionary School (Japan, 1989)

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